<Header>
<Author: 張九齡>
<Title: 奉和聖製送尚書燕國公赴朔方>
<Format: 格式不明>
<Year: 1964>
<BookName: 唐詩選　上>
<Translator: 斎藤晌>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 聖製「尚書燕國公説が朔方軍に赴くを送る」に和し奉る>
<BookPage: 297>
<UsedPage: 1>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
宗臣事有征，
廟筭在休兵。
天與三台座，
人當萬里城。
朔南方偃革，
河右暫揚旌。
寵錫從仙禁，
光華出漢京。
山川勤遠畧，
原隰軫皇情。
爲奏薰琴唱，
仍題寶劒名。
聞風六郡伏，
計日五戎平。
山甫歸應疾，
留侯功復成。
歌鍾旋可望，
袵席豈難行。
四牡何時入？吾君憶履聲。
<End Poem>
<Translation>
兵部尚書、燕國公の張説が持節朔方軍節度大使という大任を拜命されていよいよ出發されるにあたり、皇帝陛下は送別の宴をもうけたまい、したしく壯行の御製の詩をつくりたもうた。自分も側近の末席をけがしているので、うやうやしく唱和の一篇を つくった。 廟堂の重臣が征討軍をひきいて出かけられる。戦爭が目的ではなく、朝廷の大方針は平和で兵をやめることにある。天子は張尚書に三公の地位をさずけられたが、その張尚書はまさに萬里の長城にも匹敵するような人物である。朔方軍の南部では戦亂もようやくおさまったが、黄河の西にはまだ胡知がのこっているから、しばらく旗をかかげて征討しなければならぬ。そこで書に大任が下ったわけだが、はなむけに朝廷からは結構なたくさんの御下賜品があり、光榮をになって帝京を出て行かれる。これからは幾山川を越えて遠いかなたにまで經略の歩を進め、大御心のほどを原野や沼澤にまでも行きわたらせられることであろう。昔、帝舜は五絃の琴を彈じて南風の詩をうたった。
南の風が戴しく吹いてきて、わがの不平の氣も自然に凪いでゆくよ。 
南の風が時をたがえず吹いてきて、わが民の財は豐かに増えてゆくよ。 
今上陛下の御威德はちょうど、この昔話にもおとらないもので、したしく御製の詩を賦したまい、群臣に唱和せしめられた。そしてとくに張尚書に對しては寶劍をたまわってそれに書の姓名を署する光榮をおあたえになった。これも由緒のあることである。
いよいよ張尚書が朔方軍の總指揮をとられる、そのようすを聞けば、六郡に駐屯する將兵たちは勇みたち、やがて各地にいる敵兵どもも日ならず鎮定されることであろう。聖典である詩經の大雅丞民篇にうたわれている昔の周の名臣仲山甫にも比すべきわが張公は、まもなく凱旋されることであろう。その功徳はおそらく同姓の漢の張子房にも匹敵するものとなるであろう。そうなれば、天子から歌鐘の賞典が下され、勞をねぎらわれることも遠いことではない。そうして今は塞外の危險地域のように考えられている朔方も、寝室のなかで枕と坐席の間を往來するほど容易なものになるにちがいない。さあ、その日、すなわち仲山甫が乘ったような四頭立の馬車に乘って、この帝京に歸還して、この御殿に御報告の參内をされるとき、天子が「ああ、あれは尚書の履聲だ」とおっしゃるのは、いつのことであろうか。
<End Translation>
<Formatted Translation>
兵部尚書、燕國公の張説が持節朔方軍節度大使という大任を拜命されていよいよ出發されるにあたり、皇帝陛下は送別の宴をもうけたまい、したしく壯行の御製の詩をつくりたもうた。自分も側近の末席をけがしているので、うやうやしく唱和の一篇を つくった。
廟堂の重臣が征討軍をひきいて出かけられる。
戦爭が目的ではなく、朝廷の大方針は平和で兵をやめることにある。
天子は張尚書に三公の地位をさずけられたが、
その張尚書はまさに萬里の長城にも匹敵するような人物である。
朔方軍の南部では戦亂もようやくおさまったが、
黄河の西にはまだ胡知がのこっているから、しばらく旗をかかげて征討しなければならぬ。
そこで書に大任が下ったわけだが、はなむけに朝廷からは結構なたくさんの御下賜品があり、
光榮をになって帝京を出て行かれる。
これからは幾山川を越えて遠いかなたにまで經略の歩を進め、
大御心のほどを原野や沼澤にまでも行きわたらせられることであろう。
昔、帝舜は五絃の琴を彈じて南風の詩をうたった。
南の風が戴しく吹いてきて、わがの不平の氣も自然に凪いでゆくよ。 
南の風が時をたがえず吹いてきて、わが民の財は豐かに増えてゆくよ。 
今上陛下の御威德はちょうど、この昔話にもおとらないもので、したしく御製の詩を賦したまい、群臣に唱和せしめられた。
そしてとくに張尚書に對しては寶劍をたまわってそれに書の姓名を署する光榮をおあたえになった。
これも由緒のあることである。いよいよ張尚書が朔方軍の總指揮をとられる、そのようすを聞けば、六郡に駐屯する將兵たちは勇みたち、やがて各地にいる敵兵どもも日ならず鎮定されることであろう。
聖典である詩經の大雅丞民篇にうたわれている昔の周の名臣仲山甫にも比すべきわが張公は、まもなく凱旋されることであろう。
その功徳はおそらく同姓の漢の張子房にも匹敵するものとなるであろう。
そうなれば、天子から歌鐘の賞典が下され、勞をねぎらわれることも遠いことではない。そうして今は塞外の危險地域のように考えられている朔方も、寝室のなかで枕と坐席の間を往來するほど容易なものになるにちがいない。
さあ、その日、すなわち仲山甫が乘ったような四頭立の馬車に乘って、
この帝京に歸還して、この御殿に御報告の參内をされるとき、
天子が「ああ、あれは尚書の履聲だ」とおっしゃるのは、いつのことであろうか。
<End Formatted Translation>